園長閑話④

子どもたちの心はまっすぐです。単刀直入に大人にわからないことを聞いてきます。「なんでそうなっているの」「それなに?」。大人が当たり前と思っていることが子どもにとっては当たり前でないのです。大人という尺度にどっぷりつかっている身には、子どもの尺度は無限です。どぎまぎするのは、大人の心を見透かされてしまうからでしょう。何とか子どもたちの純な心のレベルまで戻りたい。それが感性を磨き続けることかもしれないと思うのです。感動する力を持ち続ける。そのためには、子どもたちの傍にいる大人は特に切磋琢磨が要求されます。でも苦にはならないと思います。それだけ自分自身も豊かになれるのですから。子どもたちのおかげです。子どもたちの成長に乗っかって、大人も心の成長を続けることができるのですから。

感性を磨くことについては、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩が大好きです。座右の詩です。参考までにご紹介します。

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ぱさぱさに乾いてゆく心を / ひとのせいにはするな / みずから水やりを怠っておいて / 気難しくなってきたのを / 友人のせいにはするな  しなやかさを失ったのはどちらなのか / 苛立つのを / 近親のせいにはするな / なにもかも下手だったのはわたくし // 初心消えかかるのを / 暮らしのせいにはするな / そもそもが / ひよわな志しにすぎなかった / 駄目なことの一切を / 時代のせいにはするな /  わずかに光る尊厳の放棄 / 自分の感受性くらい自分で守れ / ばかものよ                 茨木のり子「自分の感受性ぐらい」

(園長記)

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